『ほめない子育て』(1)

ほめない子育て―自分が大好きといえる子に (ヤングママ・パパの「いきいき」子ども学シリーズ)

ほめない子育て―自分が大好きといえる子に (ヤングママ・パパの「いきいき」子ども学シリーズ)

 このタイトルにしても、書き出しにしても、意外なことを突然言ってみて、「つかみはOK」。マーケティングっすね。しかし、最初のページを読んだだけで理解できるのは、これはタイトルどおりの「子どもをほめないようにしよう」ということのみを啓蒙したい本ではないらしく、叱ることも含めて、要するに「大人が子どもを評価するのはあんまりしないほうがいいよ」と、とりあえずは言いたい本らしい…ということだ。

 それなら、本のタイトルは、『評価しない子育て』じゃないか?と思うのだが、まあ、『ほめない子育て』と言った方が興味を引くのか。しかし、なぜ、こんな衝撃的なタイトルをつけてまでして、大人が子どもを評価することに対して注意を喚起する必要があるのだろうか?「出版不況」と言いますが、やっぱり、本を売る人も大変なのかなあ…などと想像して、そういう問題も立ててみたくなってきますが、一方で、子育て周辺の事情通の方のみでなく、広く一般にも、「子どもをほめろ」という話には、思い当たる節がありすぎるくらいあって、「ほめるな」と言われたら、それは「コペルニクス的転回」というぐらいの話に聞こえるんじゃないでしょうか。中にはきっと、逆に、これを読む以前に敵視、あるいは蔑視、あるいは無視すべき本の仲間にカテゴリーしてしまった立場の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 このあたりについて、本書での汐見さんの主張を、私が以下に頑張ってまとめてみましたが、なるだけ原文に忠実に書いてみようと配慮してみたものの、抜粋箇所の選択やら列挙の仕方などは、やはり思いっきり私の主観ですから、興味がおありの方は実際に本を手にとって読まれることをお薦めいたします。

 今の子どもたちには、自己肯定感や自己受容感がうまく育たなくなっている。その直接的な要因は、幼稚園や保育園の先生、お母さんたちの子どもを評価しようとするまなざしにある。

 大人たちの子どもに対する評価が、想像以上に今の子どもに重くのしかかっている。子どもには、親の目や大人の目からまったく自由に、好き勝手に過ごす時間が急速になくなりつつある。

 お母さんが一生懸命育てようとすればするほど、子どもを自分の手のひらにのせることになってしまう可能性が大きい。子どもはお母さんの愛情を失うことがもっともつらいから、お母さんの手のひらの上にいかにしてうまくのれるか、あるいはお母さんが敷いたレールの上をいかにうまく走れるかということにいつしかこだわり始め、もしそれができなかったら自分はダメなんだと思い込んでしまう。

 では、子どもの自己肯定感を育てるために、子どもをいっぱいほめて育てればよいのであろうか?ほめるということは、子どもの行為に共感する程度ならよいと思うが、不必要にほめたり、大げさにほめたりすることを続けていくと、逆に子どもの自己肯定感を弱めてしまうことになるかもしれない。それは端的にいうと、子どもを人の評価に敏感な子どもにしてしまうからなのだ。実は、叱るということとほめることは、どちらも、他者であるお母さんや保育者が子どものやることを上から評価するという点で同じなのである。

 親が子どもを評価していると、親と子どもの間にいつしか権力的なタテの関係が生まれてきて、指示―服従的な関係になっていく。叱ったり、けなしたりすることによって、子どもを誘導しようとする、あるいは、お母さん自身が子どもによく思われたいという意識が働いて、その結果ほめるという行動に出る。その結果、力の強いほうである親に従わなければいけないという服従の心理が子どもに芽生える。一段高いところからほめたりけなしたりすることこそは、その意味でお母さんたちにはそのようなつもりがないとしても、実は、さりげなく親という権力を使って子どもをコントロールしようとしていることになるのである。

 「チャイルド・マルトリートメント」などという文脈からすると、これは、なかなか画期的で示唆に富んだ話であるとも受け止められるのだろう。また、はっきり言ってはいないけれど、どう考えてもこれは、ここ数年でメジャーになってきたいくつかの子育てや療育の流派に対するアンチになっているようにも思えて、東大助教授(当時)あたりがこんなこと言っちゃってたら、すごい事態になってしまうじゃないか!と、なかなか驚嘆に値する本である…と思いきや、まあ、その当事者同士が、お互い本気で議論を始めるのなら「すごい事態」なのだけれども、今のところ無視しあっているのか、少なくとも今の私は「大した事態」を全く認識できないでいる。明らかに対立点があるのに、こういうものなのだろうか?ゆえに、主張している内容の割に、実効力としては、あまり驚嘆に値する本になっていない。出版があと10年遅ければ、どうなっていたのかな。

 ところで、私としては、(本書の中で最も期待をしていた)この「ほめない」ということを勧める理由を筆者が語っていく展開は、少々残念なのであった。それというのも、「ほめない」ということは、つまり「条件付きの肯定をしないで、無条件の肯定をしよう」というような議論をするのだろうと期待していたからなのであった。まあ、これは単なる私の都合なので、本書の一般の評価とは無関係な、私が個人的に残念だったというだけのことなのだが(そもそも、本ブログは極めて個人的な視点で語っているに過ぎないわけだが)、私が普段の発達に関わる相談業務の中で出会う子どもたちの中には、幼少の頃から条件付きの肯定を意図的に(場合によっては不自然に過剰に)保育や療育場面で与えられ続け、そうなると、大人の目というのは多くの子どもの場合、大人にその気はなくてもどうしても気になるものになるようで、できない課題をどうにかうやむやにしてなんとかごまかしてやり過ごして、なんとか大人からの評価をかわし、自分を保っているかのように見立てられるケースが少なくないのであった。そんな子どものしんどさが気になりだし、そこらへんの突破口を追求してみたくて、この本を引っ張り出して読み始めたという経緯が私にはあった。しかし、この本では「自己肯定感」「自己受容感」ということは言っているが、「無条件の肯定的関心」のような話には、間接的には関係あるかな?という程度で、ストレートには触れてくれていない。そういうわけで、個人的には残念であった。

 さてさて、本書の先程の私が要約した部分の続きを読み進めていくと、次第に本書の本性が明らかになってくる。結局のところ、「指示―服従的な関係」で、子どもが評価や強制をされることなく、親子が「横並び」の立場で共感・共苦しながら、子どもが気兼ねなく自己主張し、自由な選択ができる(ようになる)生活を送らせることの重要性を説くことが、この本の真のテーマではないかと、私には感じられたのであった。「ほめない」というのは、主要な主張のひとつのようではあるけれど、(悪い表現で失礼ですが)つかみに使われた「エサ」ではないか?という気がしてきた。

 まあ、私の推測はともかく、ざっと論の展開をメタ視点で辿っていくのも、本書のなかなか愉快な読み方ではないかと思う。というのは、そんなこんなで冒頭で勢いよく主張を始めちゃったこの本、なかなか興味津々であるのだが、汐見さんは自らの極論をそのままにはせず、早速p.32で微妙な修正に着手しだす格好となるのだ。正直にも、「じゃあ、社会のルールやきまりごとをどうやって教えるのか?」「しつけはどうするのか?」「子どもが危ないことをしているときはどうするのか?」といった、当然、出てくるであろう疑問を自ら先回りして、汐見さんがその対策を披露し始めるからなのである。

 極端に走らない汐見さんの姿勢には大変な好感を覚えるのだが、そのおかげで「ほめない子育て」という当初の単純なスローガンはぐだぐだになり、世のお母さん方が読破した折には、これは現実的にこれからの我が子との付き合い方をいったいどのようにすべきなのか、結果的にはわけが分からなくなってしまうのではないか?という気がしないでもない。考えてみればタイトルはものすごい極論なわけだが、それを極論のまま放置しなかったというのは真摯であると思うし、「ほめない」などと言っても、事はそんな単純な話ではなく、要はバランスということなのだろうけれども、そのバランスのとり方をこまごま言われたところで、なにか微妙に矛盾を感じる分かりにくいメッセージとなり、実際の子育てには断片的にしか役立つ情報はないことになってしまいそうな気がした。所詮は、よくありがちな子育て本の宿命に陥ってしまうのか…。

 そんなところで、冒頭でセンセーショナルに「ほめない」ということを印象付けたことが裏目に出て、だんだんすっきりしない話に聞こえてきて、読む気が失せてくる。ひょっとして、これ、「ほめない」ということを言わなくても、成り立つ本のような気がするが、「ほめない」と言わないと退屈で凡庸な、これまでにいろんなところで何度となく言われた「子どもに自由を!」というメッセージ(たしかに大事ではあるが)の、これといった売りポイントのない、マーケティング的には問題だらけの本になりそうである。

 汐見さんは、しつけを踏まえたうえで、上から子どもを評価しないまま子育てができる既成の方法として、「親業」と「アドラー心理学」の手法を名前だけ紹介してくれているが、私としてはそう言ってもらったらようやくイメージできたのであった。ゆえに、具体的に子どもとの望ましい付き合い方を知りたいという人がこの本を手に取ることを、私はあまりお薦めできない気がして、それよりか、「親業」や「アドラー心理学」の本を読んでみた方が話は早いという気がする。絶対その方がいい。

親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方

親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方

 結局のところ、この本の議論は、「上から子どもを評価しない子育て」という話から、p.60からは「外発的動機(ほうびや報酬がもらえることにより惹き起こされる動機)ではなく、内発的動機(自分自身の興味や関心によって惹き起こされる動機)を持てるように子どもを育てていくことが望ましい」という話に移り、そのあたりから「ほめる」だの「叱る」だの「評価する」だのという話は徐々に影を潜め、p.73には「子どもを放し飼いにする」というどうやらこちらがこの本の本命ではないかというスローガンが登場、さらに各論に移っていく。タイトルを深読みして、この本の中身を読み始めた人の中にはがっかりきた人もいるのではないだろうか。

(つづく)