『しあわせ脳練習帖』

しあわせ脳練習帖

しあわせ脳練習帖

 頭の中が言葉だらけになってしまうから、本来的に自分が持っているはずの感性が働かなくなってしまう。自分が体験していることをありのままに感じる以前に、滅多なことでは揺らぐことのない言葉によって構築された世界が、すでに自分の中に出来上がっていて、その言葉で枠組みを崩すことなく考え続けるものだから、自分の悩みを生み出している世界観に変革が起きることはない。どこかに「悪いヤツがいる」という話になるが、恐らくは便宜的なその「悪いヤツ」は他人かもしれないし、自分かもしれない。ゆえに、精一杯努力して悩みを解消しようとすればするほど、もっともっとその自分の言葉によって絡め取られ、苦しめられ、一生懸命になればなるほど悩みはどんどん深くなっていく。こういう人の多くには、頭の中からすっきり言葉を追い出してしまい、言葉以前にまずは、あるがままに世界を感じ、それを受け入れることができれば、悩みから解放されることがあるようなのだが、一方で、(もし自分がそれを受容できればなのだが)新たにどこかの敬愛する大先生が授けてくれる御言葉によって世界観が止揚され、とりあえずは救われておくというパターンもある。後者の場合、一旦は自分を救ったその言葉が、いずれはなぜか自分を悩ませるように作用し始めるということもある。でも、自ら望んで棲みついた世界観の中で悩み続けるのも悪いもんじゃないということは、これを書いている私も自分を通してよく知っている。慣れ親しんだ世界観を失ってしまうのは恐いし、面倒くさいし、イヤなものだ。けっきょくみんな、しばらくはそのままそうしていたいんだ。とてつもなく悩んでいようとも、今のかけがえもなく大切な自分を保ち続けようとする行為は、なんとクレイジーでビューチホーでワンダホーなんだ!だから、まあ、飽きてイヤになるまでとことん悩むのも「すばらしき人生」ということでいいのかもね。もちろん、逆に、それまでの自分の頭の中にあった言葉を思い切って投げ捨て、新しい自分になってしまうのも、輪をかけてクレイジーでビューチホーでワンダホーなのだ!

 前段を書いている私の頭の中が言葉だらけじゃないか!…と、ここで自分をツッコんでおく。

 さてさて、仕事柄なのか、近代社会の宿命なのか、様々な場面でそんな頭の中が言葉だらけの女性の存在にじわじわと気付いてきました。“近代社会における言葉のありよう”をたっぷりと視野に入れつつ親子と関わることを生業にするという奇特な立場を今のところはキープしている私としては、そのあたりの問題についての考察をすすめておくことが宿題になっているようでもあり、この手の女性向けの本をブックオフで見つけたら、安く手に入れておく習慣ができてしまった。

 それで、本書。目次を見ると「言葉を失う体験」だの「直感力」だのという文字が目に入ってくる。パラパラと中をめくってみたら、そのあたりのことについて脳科学からの解説を試みてくれている本だということが分かった。しかも、すぐに読めそう。おまけに、ブックオフで105円。…ということで、購入。少女漫画チックな表紙のせいでレジで気恥ずかしい思いをさせられそうなのが、やや困る。そんな言葉により形作られた羞恥心は頭から消し去ってしまえ!…と、できればカッコいいのだが、実際は、他の本たくさんに紛らせて目立たないようにしてレジに持っていく自分なのであった。

 表紙だけでなく中身の要所要所にも、少女漫画チックな解説つきイラストが入っている。ターゲットは、未婚の女性のようだ。なんというか、スカスカな紙面に強調文字多用で、こういうフォーマットというのは、ブログ文化由来ではないかと。テーマは「しあわせ脳になるための方法」。それで、しあわせ脳になったら、「いつもの毎日が楽しくなります。ステキな恋がやってきます。情報に頼らずとも、自分に必要なものがピンと閃きます。目の力が強くなり、肌が美しく輝きはじめます。情感が豊かになり、アイデアがどんどん生まれてきます。ちょっとアンラッキーなことがあってもすぐに立ち直れます。」・・・と、こんなにいろいろいいことがあるようです。プロローグにこう書いちゃえば、思わず買ってしまう女性もいるんだろう。

 しかし、そのちゃらちゃらした見かけとは裏腹に、一読してみて、これはかなりよくできた本ではないだろうか、と感じた。「少女漫画チックな解説つきイラスト」というのは、伊達ではなく、その章や節に書いてあった要点を見事にまとめ上げていて、実に分かりやすい。「スカスカな紙面に強調文字」というのも、読みすすめる動機を与え、そして読みすすめやすく、要点も分かりやすい。言語による内容だけで読者に伝えようとするのではなく、こうした直感的な本の作りというのはメッセージを伝えるのに実に有効であることを感じる。脳科学を用いて論じようとすると、読むのが面倒くさい本ができてしまいがちなところを、ここまで一般にとても馴染みやすい形に仕上げた編集力が、すごい!!

 そういうことで、ここまで分かりやすく書いた著者(黒川さんか寺田さんかは分からないが)の、優秀さも察せられてくる。“分かりやすくする”ことには読者の脳みそにとってのデメリットもある…というようなことを、私は書いたことがあるが(『フリーズする脳』)、視点を変えれば、能力として自分の主張を効果的に伝える技術を持っていることは文句なく強みであるだろう。それを使う場所を選べばいいだけだ。

フリーズする脳 思考が止まる、言葉に詰まる (生活人新書)

フリーズする脳 思考が止まる、言葉に詰まる (生活人新書)


 ちなみに、「しあわせ脳」になるには、女性が陥りがちな「言葉」を使って物事をあれこれ考えすぎる状態を脱して、「直感力」を取り戻せば良い、ということらしい。それで、直感力を取り戻す方策として、

・早寝・早起き・朝ごはん
・時間をかけて物を作り、できたものを五感で味わったり、人に見せて、その相手の喜ぶ顔を見るような活動を日々行う
・瞑想・入浴・器楽曲鑑賞・絵画鑑賞等々の言葉を失う体験を日々行う
・泣きと笑いを活用して気持ちのバランスをとる
排卵前のイライラも自然の摂理として意味のあることなので、制御しない

・・・を挙げている。まあ、どうということないのだが、これを男女の脳の構造の差や、脳内ホルモンを持ち出して解説されると、なかなかの惹き付け感や説得力があり、自分の中に入ってきやすい。

 男女を比較しながらその差異を論じるスタイルが、理解を促しやすく、興味を引きやすく、実用的でもあるわけだ。「女性であるあなたはこうするといいよ」という本なのだが、男だってそれで自分のメンタルバランスを保つことができるんじゃないか?という気がして、だんだん、男女の違いっていうのが、ここでは大きな問題として感じられなくなる気もしないでもない。でも、生殖やら性の問題として、そこらへんはうまい具合に機能するように男女の差異ができているんだよ、という話のようでもある。

 また、「脳を飼いならそう」と自分の脳を相対化しようとするスタンスや、「しあわせになりたい」と思わない人が<しあわせになれる人>だというスタンスも、いい。すごく、いい。しあわせというのは、自分の欲望を満たしていくことで達成される状態ではなく、結果としてしあわせな出来事を引き寄せてくるような自分の状態だからだそうだ。私は好きだ、こういうの。

 極めつけは、黒川さんによる「あとがき」。あまりにいいので、「黒川伊保子」でググってみたら、これまたすばらしいことをネット上のあちらこちらに書いて下さっている。「あとがき」と同じネタを使いまわして書いておられるエッセイもネット上で見つけたが、これってやっぱり物事を相対化して言っている感じがいいんだよな。そして、言語音の発音と身体感覚と感性の繋がりに触れている文章も発見。黒川さんはこういう方面でも活躍しておられるようで、女性の問題にせよ、言葉の問題にせよ、僭越ながら私の関心事と重なる部分が多く、学べることがたくさんありそうで、これは目が離せなくなった。