『賭ける仏教』 (2)「世間」をめぐって

賭ける仏教: 出家の本懐を問う6つの対話

賭ける仏教: 出家の本懐を問う6つの対話

(1)のつづき

 中世ドイツが専門の歴史学者である故・阿部謹也さんが言われた「世間」という概念があります。驚いたことに、古来から現代に至るまで日本にあるのは、個人を前提とした「社会」では決してなく、それとは全く別物の「世間」であり、「世間」即ち、自分の関わっている人間関係の枠内に派生する「掟」を守ることが何よりも優先されるべきことであるので、自分の意思や欲求を抑え込むことにより、「個」を確立させないまま安定を保とうとするのが、我々日本人のありようである・・・という話でしょうか。この「掟」に対して、「そんなの関係ねぇ」とばかりに無視をしたり、あるいは、うっかり「個」を目覚しく芽生えさせてしまい、どうしても譲れない事情ができてしまって逆らったりすると、「世間知らず」などと言われ、「世間」から排除されてしまうわけです。

 仏教にも「世間」という用語があるようで、その知識のある読者にはまた私とは違った微妙な意味合いが伝わってくるところなのでしょうけれども、『賭ける仏教』では、最初の方で、阿部謹也さんの言われる「世間」と、仏教で言う「世間」を絡めて話を展開している様相です。私は、阿部さんの「世間」についてはずっと昔に拝読していたものの、今となっては記憶の彼方に押しやっていたところで、それを南さんが援用し、さらに発展させ、日本の仏教の(というか日本人の)歴史を解釈する(恐らくは)独自の切り口を示していかれる流れにすっかり釘付けとなり、「世間」という概念が、いかに仏教に限らず、今の自分が対峙させられている問題を読み解いていくのに重要な概念であるのかを思い知らされた限りでした。

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

 要するに、日本には元々「世間教」とでも言うべきものがあって、日本に持ち込まれた仏教は、時間の経過とともに徐々に変質し、結局、仏教の皮をかぶった「世間教」になってしまう・・・ということのようです。

 そしてなんと、この厄介な問題を鎌倉時代初期にすでに意識していた日本人が存在していたということのようで、日本における曹洞宗の開祖である道元禅師は、「原始仏教」「仏陀の説いた仏教そのもの」を目指し、それまでの「世間教」の枠組みを越えるため、『正法眼蔵』で、新しい、非常に強烈な言語体系を作り出したのだと、南さんは語っておられます。

 しかし、こうした本物を目指す仏教を日本に普及させようという試みが成功したかというと、それはそうもいかなかったようです。

 ところがそんな言語体系は定着しないし通じない。そのうち、ほとんど誰にも理解されないまま変質し、解釈の枠組みが、禅師本来のものとは明らかに異なってしまった。

(中略)

 結局、『正法眼蔵』解釈の歴史は、「世間」の枠組みに『眼蔵』を合わせていく歴史、逆にいえば、『眼蔵』のなかに「世間」仏教の中身を入れこんでいく歴史だったといわざるをえない。

 引用元:本書 p.23


 さてさて、これは仏教に限った話ではないと、私は思いました。新しい療育法や教育法や育児法等々を、外国から輸入してきたり、オリジナルで編み出したりして、それを日本に普及させるというような場合をみると、「これはもしかしたら、輸入者や開発者からすると、とんでもない伝わり方をしているんじゃないか?」というような気がすることがしばしばあって、ある時、かなり有名な某メソッドのオリジナルに触れたことのある当事者に直接質問できる機会を得てここぞとばかりに確かめてみたらやっぱりそうだった・・・ということが私の経験として実際にあって、それは「世間教」に変質してしまった結果であったのだと解釈できた時、私にとってのかなり多くの謎が解けました。

 本書を拝読すると、オリジナルから「世間教」への変質は例外的なものではないと認識するべきだという気がしてきます。つまり、今、あなたや私が頼りにしている○○法は、とうの昔に「世間教」になっている可能性が高いと、疑ってかかった方が良いということです。極端に思われるかもしれませんが、そこまで一般化して考えてみると、実は行き詰まりの突破口がそこにあることに気付いてきます。(しかし、道元禅師の例をみてみれば、そう簡単に突破はできないことも分かってくるわけなのですが。)

 たとえどんなに合理的に編み出されたメソッドですら、もともと日本には「世間教」という大いなる下地が意識されないうちに固定化されていて、いくらメソッドをその下地に書き込んでみたところで、いつのまにかそれは「世間教」に呑み込まれた別物になってしまうわけです。

 この現象は、故・山本七平さんが1970年代にすでに『空気の研究』で説かれた「水=通常性」という概念でも解釈可能で、やはりかなり一般化して捉えてよい厄介な日本人の性質としてもっともっと知られるべきでしょう。裏返して言えば、「世間教」や「水=通常性」という概念が普及していくことが、これらを乗り越えるのだったら乗り越えるべき遥かなる道のりの入り口になるのではないでしょうか。もちろん、乗り越えないという選択もあるわけですが。

 (前略)・・・われわれの社会にはこの「水」の連続らしきもの、すなわち何か強力な消化酵素のようなものがあり、それに会うと、すべての対象はまず何となく輪郭がぼやけ、ついでに形がくずれ、やがて溶解されて影も形もなくなり、どこかに吸収され、名のみ残って実体は消えてしまうという、実に奇妙な経過をたどるからである。(中略)

 とはいえ、こういったなんらかの消化酵素があるらしいことは、もう半世紀近い昔に、何となく人びとに気づかれていた。たとえば内村鑑三はこの作用を一種の腐食にたとえ、日本は雨が多いから、外来のどんな思想や制度もたえず「水」を差しつづけられて、やがて腐食されて実体を失い、名のみ残って内容は変質し、日本という風土の中に消化吸収されてしまうという、面白い観察をのべている。(中略)

 だが、これは何も西欧文明乃至はキリスト教の場合だけでなく、外来のあらゆる文明について言えることである。たとえば日本は仏教国だといわれる。これは今では世界的な定義で、外国の地図などでは日本を仏教圏に入れているから、確かに「名」は残っている。だがしかし、専門学者は浄土宗は仏教ではなく、浄土宗のような思想は仏教にはないという。もっとも啓蒙的な本は、日本仏教に敬意を表してここまでははっきりとは断言していない。が、しかし、ペンギン叢書の「仏教」を一読されればよい。浄土宗についての的確な説明があり、これを相当に高く評価しているが、最後は「これが果たして仏教なりや?」という言葉で終っている。儒教となるとさらに面白い。徳川時代に日本は儒教の影響を徹底的に受けたそうだが、しかし科挙の制度は取り入れていない。いわば骨組みはどこかで骨抜きにされ、肉の部分は何となく溶解吸収され、結局は、儒教体制という形にならずに消えてしまったという経過をたどっている。

 引用元:『空気の研究』山本七平著(文春文庫)pp.93-94

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))


 以上の視点からすると、現状では、新メソッドを日本でオリジナル通りに普及させることは不可能に近いという話になるでしょう。「世間」を意識していないなら尚更、いずれ伝播のされ方がコントロール利かない状態に陥るのだと思われます。もっとも、日本が「世間」でなく「社会」を成立させるに至れば、こういう問題も解決するのでしょうが、それは当分無理な話でしょう。


 さてさて、本書から私が読めたところでは、道元禅師以降の仏教は、再び「世間教」になってしまった上に、江戸時代には、檀家制度ができて、寺が行政機関として民衆を従わせる権力を持ち、悩める人をとりこめなくても僧侶は食っていけるようになったことが逆に災いし、宗教としては無力化する一方だったようです。昭和の高度成長期に至っても、明らかに世の人々の苦悩はあふれんばかりで、新興宗教や街角の占い師などにすがる人々は後を絶たないというのに、伝統仏教は、こうした人々の多くからは頼りにされないまま・・・という状況になっていたわけです。

 子育てに纏わる相談においては、子ども本人や親本人の気質や性格を問題解釈の中核に据えるべきではなく(無論、そこが大事な場合もありますが)、「世間」に抑圧されているから悩まざるを得なくなっているのだ・・・と解釈する方が妥当ではないかというケースを、しばしば私は仕事で経験してきていて、それは本ブログでこれまで何度か強調して述べさせていただいたことでもあります(『脱サイコセラピー論』『うしろ向きに馬に乗る』)。そうしたことに絡んで考えてみると、現代に至り、それこそ、世間教は世の中を鎮めているようでありながら、実はそのせいで人心が惑わされ、苦悩が生み出されている・・・という見方に首肯される方も多くおられるのではないかという気配を感じますが、如何でしょうか?そんな話にまで行き着くと、私は、世間教ではなく、本書で言うところの「生き方の参照原理なり生の基準としての仏教」が復活してくるかどうかが問われている・・・という南さんの着想に希望を託したくもなってくるわけなのです。もはや、「世間」という概念を知り尽くした上で普及させる思想やメソッドでなければ、通用しないと思うわけなのです。

(つづく)